目的と手段は違うと花は咲き
死んで花実が咲くものか、と言いますが
私は死んで花実がなるものか、の方が的確なことばだと思っています。
花は咲く、という現象は人の希望や願望が込められていますが
自然界が花を咲かせるのはそれが最終目的ではなく、実を結ぶための手段。
花の色香に惑わされ、虫たちはせっせと受精のお手伝いをしています。
植物たちにとって美しい花を咲かせるのは種の保存の手段、
そのためにこの上なく魅惑的な甘い蜜の味を用意しています。
花が散る、枯れる現象は人を感傷的にさせます。
でも密かに実をつけ、目立たないように育み
ころあいをみてまたおいしそうに色づいた実を鳥などに魅せつける。
それも愛しい子孫繁栄の自然の理。
人はこれを商売にしてしまった。
種の保存のために用意された花の美そのものを商売のタネに。
実を付けないのは哀しい運命だけれど
花屋さんの店頭には花で終わってしまう命が無数に売られています。
そう考えると野に咲く花を密かに愛でるのが
本当はしあわせな気分にさせてくれるのかも知れません。
と言いながら、私もたまに花を買って帰ります。
花があると無条件に気分が華やぎます。
都会では花が咲く野自体なかなかお目にかかれません。
う~ん、やっぱり都会は華があっても実がないのかも・・・。
理屈抜き きれいな花は お好きでしょ