77年前、人類の戦争史上二発目の原爆が長崎にいる人々の頭上で炸裂しました。
多くの日本人、在日朝鮮人、捕虜が命を落としました。
長崎は原爆投下候補地の一つ、本来は小倉に投下予定だったのが曇りのため長崎に。
ここも雲の切れ目からの決行になったそうです。
広島に次いで長崎の惨状に軍はさすがにショックを受け無条件降伏をのむ結果となったようです。竹やりや精神訓話では本土防衛など不可能である事を悟ったのでしょう。
国が戦争を始めてしまったら行くところまで行くしかないという凄惨な体験を強いられました。
開戦当初は勇ましかった神国日本は戦争末期に二発の原子爆弾を浴びて打ちのめされました。
世界の共産化を恐れるアメリカによって占領され、その後も共産化の防波堤として今に至っています。
(岸政権と反共の統一教会の関係も醸成されました)
原爆の悲惨さを誰よりも知っている日本人、しかし本当にそうなんでしょうか・・・。
毎年国会議員が戦争犯罪人を合祀した靖国神社参拝は話題にこそなりますが、広島長崎原爆資料館を訪れる国会議員の話は聞きませんし、ニュースにもなりません。
アベ元総理の国葬を行い、弔問外交に期待する声も聞きますが、各国の国家元首を広島長崎の原爆資料館に招待をして原爆の惨状をつぶさに見てもらう方がよっぽどよいと思います。
原爆を使ったらあかん、使ったら世界は終わり、そんな無用の長物は捨てなあかん、という世界観を世界に広めるべしと思います。
国民を兵力としてしかみていない国家元首も多数存在するでしょう。
そうしたらその兵力に核戦争の実態を啓蒙すべき。
戦争が始まると兵力は人間であることを捨てさせられます。
国に戦争をはじめさせてはなりません。
戦争は人でいる事は許されません。
国を守るという正義の呪文によって武器を積んだドローンと同列になります。
為政者による核兵器使用もその落下先に人は存在せず戦果があるのみ。
人は今そんな世界に暮らしていると思いますら。