HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓ライブ

太鼓のソロライブに行って来ました。

ピアノ、津軽三味線、篠笛・能管、太鼓と鼓、そしてダンスのコラボで構成されておりました。

出だしは鼓とダンスという異色の組み合わせ。

200席ほどの小ホール、舞台の高さが低く、客席はほぼフラットなため

舞台上で正座で鼓を打っている姿、舞台に手をついて踊っているダンサーの姿は殆ど見えません。

鼓は何かに腰掛けて演奏して欲しかった・・・。

オープニングで主演者の姿が見えない(恐らく最前列以外殆どの人が見えないと思います)のは

観ている方のストレスが溜まります。

舞台はホールによってそれぞれ形状や特性が変わるもの、これはリハの時に確認が必要と思います。

私はホールの客席から舞台の死角がないかを確認する様にしています。

有料の場合、舞台が見えないところがあってはなりません。

客席からは演者が見えるのが大原則と思います。

このホールは恐らく音楽ホールのため、奏者は椅子に腰掛けている場合が普通なので上半身は見える、

という事なのかも知れません。

舞台上に座る、というのは想定されていない椅子の配置、高さになっている可能性ありです。

それ以降はほぼ立ち姿での演奏だったのでそういう事はありませんでした。


三曲目のダンスと太鼓のコラボ、男性のダンサーが二人、太鼓奏者は担ぎ桶を床に置き両側から

叩きます。太鼓オンリーの音と、それに合わせて踊るのは新鮮に映りました。

演奏会終了後の帰り道、この音にチャッパか鈴の音が加わるととてもいい感じになるのでは?と

考えていました。恐らく太鼓の音とカネケの音でトランス状態に近くなるのかも。

そう考えているとアフリカの音楽は太鼓のみの演奏でダンスをしているし、

先日訪れたタヒチアンミュージックも太鼓メインの音楽でダンスに興じていたのを思い出しました。

和太鼓では新鮮かも知れないけれど、音的には既成のものがあるわけです。


これも演奏会終了後、もし自分が何か演奏会をやる場合、観客にメッセージとして伝える何かを

はっきり打ち出したい、という考えが頭の中をぐるぐる回りました。

自分はこれを伝えたいために、皆さんの前で何かをやります、という強烈なメッセージ、

それは太鼓の技巧でもいいし、パフォーマンスの完成度でもいいし、心地よい音でもいいし、

世界平和の願いでもいいし、何でもよいのです。

太鼓の場合はある意味音楽性はかなりナロウ(狭い)ので難しいと思います。

でも、創作和太鼓の世界は何の制約もないわけだから思いっきり冒険も遊びもできるのでは?


そんな中で、後半は目が見えない、耳が聞こえない人のために作曲された太鼓の曲が演奏されました。

舞台上の照明はほぼ落とされて、薄闇の中で太鼓の音のみ聞こえて来ます。

目が見えない人はこうして音のみを聴いているんだなあ、というのがよくわかります。

また、体に振動が伝わって来るので、耳が聞こえない人はこうして音を感じているんだなあ、

という経験ができます。

2020年のパラリンピックではこういう曲が流れたらよいなあ。