残り二つの名園は水戸の偕楽園、岡山の後楽園、
よく考えたらどちらも行ってない!?
というわけで兼六園が三名園の初名乗りとなりました。
後に訪れた前田土佐の守資料館のビデオコーナーで兼六園の歴史を見ましたが
それによると延宝四年(1676)、5代藩主・綱紀(つなのり)が蓮池底という
自己の別荘とその周りを庭園化したものが作庭の始期だと言われています。
その後、藩主が代わると先代のものを取り壊して新しい庭を広げて行ったようです。
自分の治世には自分也のものを、という心理が働いたのか働かなかったのかは定かでは
ありませんが、時代が変わるというのはそういうコトなのかも・・・。
この日は晴れ間も見え、湖面を行くさざ波が幻想的な光景を映し出しておりました。
雪から枝を守る雪吊りとともに日本人の自然や人に対するこまやかさが伝わってくるようです。
文久3年(1863)に建てられた巽御殿(たつみごてん、現在の成巽閣)を訪れましたが
当時の夜着の展示がされておりました(撮影不可)けれど、着物というよりはこれ布団ですね。
暖房器具も火鉢くらいのものでしょうからそれくらいでないと寒くて眠れなかったのでは?
建物には靴を脱いで上がるのですが足裏からシンシンと冷え込んで、小一時間の見学が終わると
ほんとに体が底冷えしておりました。真冬も障子一枚で、寒かったと思います。
帰り際に靴脱ぎのところにモワモワのスリッパが用意されているのを発見、時すでに遅し・・・。
兼六園はほぼ隅から隅まで歩き回りましたがここでの観光ガイドも今更ということでお次
21世紀美術館を目指します。てくてく・・・。
途中、坂道には滑り止めの筵が。
つづく