HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓:演奏会の性質

いよいよ日曜日にせまりました神社奉納演奏(地元商店街の秋祭り)。

かれこれ十数年、毎年恒例で出演させてもらっています。

以前から思っていたのですが、我々のサークルは年に6回ほど演奏会の機会があり、

それが既成事実化していて演奏会に出て当たり前、みたいなところがあるような。

演奏会に向けての練習はするんですが、この演奏会のためにと一生懸命になるというよりは

どうも義務感でやっているのに近いような感じを受けたりします。

確かに曲をつまずかずにこなすという練習は欠かせないと思いますが、

各演奏会前にまったく同じ練習しかしないというのはどうなんだろうかと。

各演奏会は場所はもちろん、観客の傾向も異なるわけで、その演奏会に適した内容があると思うのですが

それにも拘らず、持ち曲の練習だけひたすらやっている・・・というようなところがあるわけです。

自分たちの持ち曲を打つだけ打ってさっさと帰って来る、と言っても過言ではないような演奏会。

観客にも太鼓に触れてもらおう、とか、観客を巻き込んで太鼓を楽しもう、という発案はありません。

神社の演奏も、子供祭りの演奏も、桜祭りの演奏も、中身は殆ど同じ、曲目や曲順がちょっと違う程度、

まあ、曲は同じでも演出の工夫で差別かははかれるものと思うのですが。

以前はいろいろ提案して実施にも移しましたが、その種は根付かなかったようです。

何で太鼓を打つのか、なんで太鼓を打っているのか、という根本的な問いかけを自分にしてみる必要が

あるような気がしてなりません。(これも問いかけ続けて来ましたが・・・)


先日、一日練習の時に皆でランチをしている時、放っておくと(笑)話題は日常のゴシップやら

食べ物の話、水を向けるまで太鼓の話題にはなかなか辿り着きません。

他の団体ではこの逆で、話題は太鼓の話ばかり、この差は太鼓に対する熱さの違いとあきらめています。

まあ、自分は冷める事がないように熱を持ち続けたいと思っております。

演奏会の演出については、演奏会自体今年は天候やら参加者が集まらずで中止とかで半減し、

今後は慰問演奏をやってはどうかという話が出ています。

以前は希望者をつのり少人数で慰問に出かけたりしましたが、特定の人ばかりが行くのはどうか、

という懐疑的な意見もあり正直嫌気がさしたというのも事実です。

しかし慰問の経験から演奏の質はおろか演出の重要性を学ばせてもらいました。

その原点は演奏を楽しみに待っている人がいるという事。

こちらの押しつけの演奏はあまり意味を持たないわけです。

どんな演奏でも真剣勝負で挑みたいものです。