最近の自分ながらの結論は太鼓は3年やってやっと何かがわかってくる、というもの。
稽古事として週一のペースが元になっているので部活などで練習頻度が多い場合はあてはまらないと。
習うより慣れろという言葉があるように自分で体験をしてそこから何かを見出すというのは
人から言われてわかる類のものではないようです。
例えがいいかわかりませんが自転車に乗れるようになる感覚でしょうか。
理屈では自転車に乗れない、体感学習を重ねる時間があって初めて自転車に乗る感覚がわかります。
太鼓もあっちへふらふらこっちにガッチャンを繰り返しながら、ああ、太鼓ってこういう感覚なんだ、
という事がわかってくる、それに3年くらいかかるような気がします。
最初は慣れない手つきで力任せに太鼓を打ったり、曲が覚えられず自信を持てずに中途半端な演奏をしたり。
そのうち要領が呑み込め、曲も覚えてスムースに演奏をこなす事ができるようになって行きます。
太鼓は変なリキミが消え脱力を心がけられるといい太鼓が打てる場合が多いような。
習っているうちはまだ無理だけれど慣れてくると脱力の仕方がわかってくる。
習うより慣れろ、ですが、演奏会がある時は慣れた太鼓を打つなと戒められます。
力は抜いても気は抜くな、という事ですね。
太鼓は打ち手の気を見せる要素がとても強いもので
手馴れた演奏は時にはそれが演奏ではなく作業に見えてしまうようなところがあります。
以前ピアノバーに行ったときそのピアノは音楽ではなく音に聞こえた事がありますが
(演奏はこなれているが気持ちが伝わって来ない・・・)
そうならないために太鼓も慣れぬ手つきノススメも必要かと・・・。