隣町に三軒茶屋というところがあります。
大山道と登戸道(現世田谷通り)の分岐点に石橋楼、角屋、田中屋の三軒の茶屋があったとか、
それが三軒茶屋の名の由来で文化文政時代にはそう呼ばれていたそうな。
昨今は地名変更で昔ながらの由緒ある町名も地図から姿を消す事もしばしば、
なるべくなら歴史的にも昔の町名地名は残してもらいたいものです。
市区町村合併で新しい市もたくさん生まれましたが名前だけ聞いてもどこかわからないケースが殆ど、
それぞれの地区の住民に配慮してかどこにも縁もゆかりもない名前にするのかわかりませんが
なんかさびしい感じも否めない。
さて三軒茶屋、通称三茶と呼んでいますがこの地区も再開発計画地域になっており、
今の雑多な街並も近い将来姿を消す事になる運命でしょう。
この写真は五叉路になっていて角に魚屋さんがあります。
昔はどこの町にも魚屋さん、肉屋さん、八百屋さん、乾物屋さん、米屋さんとかありました。
スリランカではまだまだ個人商店が健在で、よくもまあ同じような商売をする店が
こんなにあってお互い成り立っているもんだなあと感心してしまいますが
思い起こせばかつてのわが町にも蕎麦屋さん、パン屋さんはじめ、前述の肉魚野菜など
商いを同じくする店が複数あったものです。
なぜか客側はそれぞれいきつけの店があり、商売する方もお互い刺激しあっていたのではと。
かつての三軒のお茶屋さんもおなじようにそれぞれが張り合ってがんばっていた事でしょう。