HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓の質

先日の高校生の太鼓を観て思うところがありました。
 
人前で演奏する以上は何かしらの魅力を提供すべきではないかと。
 
高校生たちは溌剌さ、そのあふれるパワー、強い意思、ほとばしる情熱、等々魅力満載です。
 
目つきだけでもとっても魅力的。
 
それぞれの団体の個性も様々で
 
野生的⇔都会的
野太さ⇔洗練
パワー⇔繊細さ
個性⇔統一感
スピード⇔優雅さ
全体の迫力⇔複層的な面白さ
 
のように、らしさ、が単純明快なほどアピールする力も強いように思います。
 
個人プレーが主体の八丈太鼓にしろ、三宅太鼓にしろ、打手がいかに観客にアピールできるか
 
魅力あふれる太鼓を披露できるか、これがとっても大切な事なんだと思わされました。
 
 
世の中に趣味の太鼓サークルもたくさんありますが、構え方を見るだけでほぼ実力がわかってしまいます。
 
おお、これはなかなかやりおるな、と思える太鼓は知らず知らず演奏に引き込まれます。
 
そうでない太鼓は厳しく言えば、ああ、やってますね、くらいの感覚、本人たちが自分のために
 
楽しんで打つ分にはまったく問題はないと思いますが、
 
いざ人様の前でやる以上はどこか魅せるポイントが欲しいところです。
 
笑顔がすばらしい、とか、音が出ているとか、雰囲気が素敵だとか、練習を積んでいるのが伝わってくるとか・・・。
 
太鼓団体も数多く、創作太鼓はどこも似たりよったりになる傾向がありますが太鼓の質が問われてしまう。
 
太鼓はシンプルなだけに表現もそうバラエティに富むものでもありません。
 
それでもかなり個性的、かつ魅力的な作り込みをしないとまた聴きたい、もう一度観てみたい、
 
という太鼓にはならないのではないかと思います。
 
団体に限らず個人でも同じこと。
 
大人数で打っている太鼓でもやはり目が行く人はいるもので、そういう人をメインに観てしまいます。
 
不思議なことにそういう人は光を放っています。
 
今回その本人と話す機会があったのですが、自分でも太鼓を楽しみ尽くして打っているとの事、
 
それが観ている側に伝わってくるんですね。
 
太鼓の質=打ち手の質、そう考えると背筋が伸びる(伸ばされる)気がします。