ぶちあわせ太鼓、神奈川県三浦半島の突端にある三崎港に伝わる漁師の太鼓と聞く。
伝承によると別名喧嘩太鼓とも言われ、二手に分かれて太鼓を競い、豊漁を祈願したものとされる。
いったん廃れたとの事で、今現在オリジナルのものが打ち継がれているかは不明。
この太鼓を基にして創作されたものが全国的に打たれているようだ。
今は三人一組で太鼓を打ちまわすスタイルが定着しているが、
全国的にいろいろなバリエーションがあるようだ。
今、ワークショップで習っているぶちあわせは、蕨座のオリジナルのもの。
三人の打ち手の見せ場がそれぞれ用意されている。
まずは音をしっかり出す基礎を学び、その上に各自のオリジナリティーを付加して行く。
ぶちあわせのエキスだけ抽出しているもので、三人が打ちまわす部分は省略されている。
これから習うであろう相洋高校版。
まだ構成は明確になっていない。
というのも我々は中高年(老高年?)太鼓集団のため、
あの激しいスタイルのぶちあわせがお似合いかどうか疑問符がつくところ。
体力的にも危ぶむ声が聞かれる。
個人的には源流を追及したいところだが、実際それをするには無理な人もいるように思う。
私なりの結論はできる人、やりたい人がやればよいと思う。
集団ではできない人に合わせる必然もないのだ。
それでもできない人を単に切り捨てるのではなく、きちんと居場所を確保する事は絶対に必要。
一つの方法としては、皆が皆姿をきれいに揃えて打つ必要がない太鼓とする事。
まともな音は当然出すわけだが、打ち方は各自の個性的な表現を認める。
音は揃っていて、見てくれは揃う必要のない太鼓、とすればかなり自由度が増すのではなかろうか。
何も全員でくるくる回りながら打ちまわさずとも、その部分はできる人がやればよい。
ただし音は合わせる。
ぶちあわせ太鼓は三人一組で打ちまわして行くところが最大の見せ場なので、そこを割愛するのはしのびない。
太鼓を自分たちに合わせるのか、太鼓に自分たちを合わせるのか、微妙な問題ではあるが
私は後者をとりたいと思っている。