当たり前 なくなる日々が 当たり前
新型コロナウィルスの出現によって人類にとって当たり前の生活が一変しました。
感染が確認されてから3年目に入り、新しく開発されたワクチンでなんとかしのいでいますが特効薬はまだありません。
今まで当たり前だった人やモノの移動がなくなり、結果カネも回らず世の中沈んでおります。
そこへきてロシアのウクライナ侵攻、これは侵略といってもいい戦争。
この戦争は遠い国で行われているものではなく、身近な生活に密接に結びついている事が明らかになりつつあります。
一つはエネルギー問題。
ロシア産の安い天然ガスに依存して成り立っていた経済、
発電コストが跳ね上がる事ですべての生産コストに影響が。
原油も値上がり。
その結果ものを輸送するコストが上昇。
あらためて日本は世界のあちこちから船を使っての輸入に頼っている事を再確認。
殆どの食糧を輸入に頼っている日本は4月以降露骨な値上げラッシュに見舞われる様相に。
電気、ガスなどの値上がりは直接家計に響くばかりではなく、製造業や飲食店などの経営を圧迫し値上げにつながります。
小麦を原料とするパンや麺類、お菓子、バターや乳製品、味噌や醤油、など食料品の値上げはすでに始まりました。
輸入飼料の値上がりは肉の値上がりを招きます。
アベノミクスとやらの国の骨太の計画なんぞぶっ飛んでしまいました。
それを継承する新しい資本主義というコトバは最近耳にしません。
今後増々今まで通りの安くて当たり前の世の中は通じなくなるかも知れません。
浪費気味の経済社会を復活させるのが正解なのか、それに大きな?をつけて考え直す時期が来ているように思えてなりません。
立ち止まり 振り返ってみる 時空(とき)は今