HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

向島百花園

墨田区にある向島百花園におじゃましました。

向島百花園は今は都立の庭園で国の史跡に指定されていますが、生い立ちは江戸時代・文化元年(1804)に仙台の出の骨董商、佐原鞠塢(きくう)という人物が作った江戸庶民の庭園で、当時の文化人のサロンとして親しまれていたそうな。

鞠塢という人物、商才があったとみえ順調に商いをしていましたが、40そこそこで賭博の嫌疑をかけられ隠居、元々園芸に造詣の深かった鞠塢。

今の東向島の加賀屋敷跡を購入して300株以上の梅を植え、観光梅園とし切り盛りします。骨董屋時代に親交を深めた文人墨客とともに万葉集や中国の詩経に登場する草花草木を植え、隠居後の文化的生活を楽しみつつしっかり収入も得たようです。

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百花園は春の梅と秋の萩がつとに有名。

萩のトンネル目当てに訪れる人も多いようです。

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都会では珍しいアケビにもお目にかかれます。

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ひょうたんの棚もあり、園内の売店でひょうたんのお土産も買う事ができます。

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園内の建物は東京大空襲ですべて焼失しましたが、当時は百花園内に築かれた窯で焼かれた墨田川の土を使った角田焼の器で、収穫された梅干しやお茶を楽しむという粋な遊びも人気だったとか。

 

向島の地名は江戸城がある側から見ると、大川(墨田川)の向こうにあるから向島と呼ばれたんだとか。向島といえば花街としても有名。最盛期は1000名を超える芸妓がいたそうです。

今は18軒の料亭と120名の芸妓が向島の粋でいなせな花柳界を守っているとの事。花街は百花園がある東向島の南側一帯に点在しています。

 

百花園がある東向島の街並みも気になりました。こちらは百花園近くの街並み。

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江戸情緒は東京大空襲で焼き尽くされてしまっていますが濃厚な昭和のニオイは健在。

 

同じ墨田区にある横網町公園には東京都慰霊堂があり、東京大空襲関東大震災で死亡した遺骨16万3000柱が供養されています。

東京のいたるところでたくさんの死者が出ているにもかかわらずどこも心霊スポットになっていないのは実に不思議ですね。