HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓:深沢神社秋祭り

本日、深沢神社秋祭り本番です。

先日、指導者が見えられ曲順が変わりました。

「とんばね」→「虚空」→「感謝」→「祭り」が、

「とんばね」→「感謝」→「虚空」→「祭り」の順に。

これは通し練習をした時に「虚空」(そら)の仕上がり具合がしっかりしているため急遽変更。


「とんばね」は動きがあるため観客や打ち手の緊張を解くのによし、

「感謝」は十八番の曲なので気持ちを入れやすく、気持ちがは入れば観客を演奏に引き込む事ができる。

「虚空」は短いけれど演奏に変化をつけているので起承転結の転の役目を果たすと思われます。

最後はお祭りのテーマに沿って賑やかに「祭り」で締める。


急遽配置転換のやり直しの確認を行い、通し練習を数回行いました。

以前だったら直前の配置転換にブーイングの一つでも出るところですが

人数も太鼓も少ないため、皆素直に変更に対応していました。

ただ、配置転換のやりやすさを第一に曲順を決めようとする動きがありましたが

それは本末転倒という事は伝えました。

先ずは演奏会に沿って一番よいと思われる曲順の構成があって、それに従って配置転換を考える、

結果、配置転換が複雑になってもそれは工夫してやるしかありません。

優先すべきは演奏のしやすさではなく、演奏で何が伝えられるか、でしょう。


今回の演奏で指導者から与えられたテーマは自分たちの演奏で観客に「何か」伝えること、

「何か」を伝えようと思って演奏すること、でした。

要は太鼓で一番大切な「気持ちを入れて」演奏しなはれという事です。

以前から演奏に「馴れ」が出ていると指摘されることもしばしば、

この馴れは技巧的にそつなくこなしているという事で、そこに「気持ち」がみてとれないという事。

「何か」を伝えるという意志が見えてこないと見ている方は感動しません。

何のために太鼓打ってるの?という根源的なところに関わると思います。