子供の頃はまだまだラジオがメインで、
テレビ番組を観るためにわざわざおそば屋さんに行ったりしていましたっけ。
大衆娯楽の代表は映画で、その映画の中で美空ひばりが唄ったり踊ったりするシーンは
観客にとってはその娯楽性ゆえに人気があったと思われます。
ペギー葉山のよさこい節がヒットすると、脈絡も無く映画のワンシーンで唄ったり、
とういうのもサービスの一つだったのかも。
歌声は知っていたペギー葉山、映画に登場した時、思わず「げっ!ブー子ちゃん」(失礼)と
思ったものでした。歌声と容姿のギャップに愕然とした記憶があります。
同じように、落語家の三遊亭金馬、ラジオではよく聞く機会がありましたが
テレビで初めて見た時、ハゲの出っ歯のおっさん(失礼)にびっくり。
かつては音声と映像が分離していた時代があったんだなあと感慨深いです。
とはいいつつも、今の時代でもCDからは絵が出ないので同じ思いをする人もいるのかも。
こうして考えてみると、音楽をはじめ聴覚の世界は視覚がなくても成立するし、
視覚が絶対条件ではなさそうです。
ふと、太鼓の世界を振り返ってみるに、視覚無しに演奏が成立するものかどうか・・・。
音楽表現として突き詰められているのか、考えさせられます。