HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

この世:パラリンピック

リオパラリンピックたけなわです。

あれ?たけなわってどういう意味なんだろ?

これはまた次の機会に譲るとして、パラリンピックをまじまじと観るのは初めてです。

今回は、出場する選手たちにもスポットが当てられ、それぞれの選手の意気込みや

アスリートになるまでの逸話も紹介されています。

選手達の話の中で、事故で両足を失ったり、下半身不随になったとき、

生きる目標を失い絶望の縁に立たされた時、スポーツと巡り会い生き甲斐を取り戻した、

というものがありました。

また視覚障害聴覚障害の人たちも、スポーツを通して自分はここまでできるんだ、

という自信を持つ事ができ、その姿を人々に観てもらいたい、という願いがあるとも。

こうしてみると、スポーツの持つ力ってすごいものだと思います。

その一方で、頭をよぎったのは、パラリンピックで障害者に対して手を差し伸べられるのは

豊かな国が圧倒的に有利なんじゃないの?・・・という思い。

競技用の車椅子の単価は一台数十万とか、これらの機材、施設や指導者を持てるのは

先進国に限られちゃうのではないか・・・。

私がかつて訪れた事があるカンボジアでは、今なお残る無数の地雷に

手足を吹き飛ばされた障害児がそこここにおりました。

しかしカンボジアは貧しく、パラリンピックどころではない、というのも現実のようです。

地球規模の貧しさと豊かさ、ちょっと複雑な思いでパラリンピックを眺めています。

ま、これはパラリンピックに限らずオリンピックにも同じ事が言えると思いますが

出場している選手達のチャレンジする姿には無条件で感動させられています。