HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

日本道中:目青不動

目黒不動も昔よく行きましたが最近はご無沙汰してます。

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さて、目青不動正式名は天台宗竹園山最勝寺 教学院
天台宗最澄伝教大師)が中国より伝えたとされる密教の仏教ですね。
密教系という事で不動堂に不動明王伝・円仁(慈覚大師)作)も鎮座していますが
これは明治15年1882年)に廃寺の観行寺(正善寺とも)の本尊であったとか

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秘仏のため見られるのは青銅製の前立ちの像です。
しかしこの前立ちの像も寛永19年(1642年)作だとか。
近くには寄れないので詳細まで観てとることはできません。
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教学院は三軒茶屋のシンボル、キャロットタワー(ニンジンの搭!?)の足元にあります。

そのキャロットタワーから教学院を見下ろす。
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参道は二つあり、世田谷線三軒茶屋駅の降車ホームを抜け(自由通路)
世田谷線の線路に沿ってほんのちょっと行くと右側に石の門が現れます。

境内裏手には小田原藩大久保氏・荻野山中藩(駿河松長藩)
大久保氏・烏山藩大久保氏の歴代藩主の墓があります。
大久保氏は一心太助の映画に登場する大久保彦左衛門の家系。
徳川家ゆかりの上野寛永寺の末寺であることも納得。
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またここ竹園山 最勝寺 教学院は関東三十六不動尊霊場の第16番札所にあたります。
この関東三十六不動尊霊場は神奈川県伊勢原市大山の大山不動尊を一番として
三十六番千葉県成田市成田不動尊まで関東一円に広がるもので
昭和62年(1987年)に開創されたそうです。

一番札所の大山不動尊へは大山詣りとして大山道を行きますが
ここ三軒茶屋と縁が深い。
三軒茶屋の由来をひも解くと、江戸中期以降、
社寺参詣ブームで賑わった大山道(現在の国道246号線)と
登戸道(現在の世田谷通り)の分岐(追分)付近に
信楽(後に石橋楼)、角屋、田中屋の三軒の茶屋が並んでいたとあります。
今はその地に道標と銘板が立っています。
三軒茶屋と大山道 の画像
三軒茶屋と大山道 の画像

三軒茶屋と大山道 の画像

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大山道道標・かなり立派です。

道は昔のまま残っている事が多く、一種のタイムカプセル。
本来地名もそうなんですが、最近は市町村を含め
古いものが消滅して行っているのはちょっと淋しいです。