HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓:改善してほしい

私はスリランカの準備やなんやかやで7月の12日の練習までしばらくお休み、そのラストの練習になりました。

自分たちのチーム練習、いくつかの約束事をお願いしています。

練習に来たらまず自分で打つ太鼓は自分で準備すること。

これは自分で太鼓に責任を持つ、という事につなげたいので始めました。

太鼓のセッティングが悪くて練習中や演奏中に太鼓が転げ落ちちゃう事がありました。

そういう事がないように、自分できちんとセッティングまで確認をしてもらいたいという理由です。

もう一つは余分な太鼓を出さない、という事があります。

来た人が自分の太鼓を出せば参加者の人数分の太鼓がセッティングされます。

遅れて来ても自分の太鼓は自分で出す。

以前は(今も?)人の分もセットして、結局太鼓が余っちゃってるという事がありました。

まあ、親切だと思ってやっているんでしょうけど、余計なお世話になっちゃうわけです。

遅れて来る人は太鼓も出さず、セッティングされているのが当たり前となり、

太鼓を出す、という手間の大変さが身に付きません。

なによりも自分で太鼓を出す事で、太鼓に愛着を持ってもらいたいと思う訳です。

自分の打つ太鼓はさっさとセッティングして、皆で使う締め太鼓や大太鼓などを協力してセットする、

この辺も意識が希薄で、我関せず状態でその辺でくっちゃべってたりします。

そういう雰囲気なので練習もなかなか始まりません。

皆の時間なんだから、メリハリはきちんとつけてもらいたいと切に感じます。

意識は音に出ちゃいますから、真剣味が伝わって来る演奏はなかなかできないようです。

指導者もそこを指摘しますが、言われたときは気をつけるけれど、すぐに忘れちゃいます。

昨日もこんな事がありました。

しょっきりと言われる前奏部分が長い曲を練習していた時の事、

しょっきりは大太鼓の表と裏、ドラ、相撲太鼓、ドカン、笛、と6人編成で
(相撲太鼓とドカンを一緒の人がやる場合は5人)

そこそこ長い部分を限定人数でやります。

パート以外の人達はやる事がなく手持ち無沙汰になっちゃうわけです。

指導者がパートパートの指導をていねいにしている時、その他の連中は我関せずで離れたところで

雑談に花を咲かせていました。

これはいかんと思い、指導者の話をさえぎって、一緒に話を聞くようにと他の連中を呼びました。

技術的な事ばかりではなく、太鼓に向かう気持ちの話をしているので

同じ場所にいるのなら指導者の話を真剣に聴くべきです。

そんな緩んだ気持ちが蔓延しているので、そこから改善してほしい。

別にピリピリして精神的に疲れる必要はまったくないのですが、たかだか4時間くらいは

集中してもよいのではと思います。

以前に比べるとなんでもいちゃもんつける事は少なくなり、いい方向に向かっているとは思いますが

もう少し気を入れて臨んでいただきたいです。