ゼロ戦
太平洋戦争初期を代表する日本の戦闘機ゼロ戦。
ゼロは敵性用語であるにも関わらず当時から使用されていたらしいです。
(正式名は零式艦上攻撃機)
2枚目はその操縦席。
3枚目はパイロットの着座です。
機体を軽くして運動性能最優先の設計主旨のため、
パイロットに対する防御性能は無視されたものとなっています。
これは被弾した場合ひとたまりもありませんね。
パイロットから改造の要望も出たそうですが結局ゼロ戦が
特攻機になっても改善はされなかったようです。
特攻作戦は航空機にとどまらず、その作戦は1から9まであったそうです。
よく知られているのが人間魚雷回天。
ロケット機桜花による人間爆弾。
震洋隊と呼ばれた爆雷を積んだモーターボートによる体当たり。
棒の先に爆弾をつけ潜水服で海底を進み敵上陸艦めがけての自爆攻撃。
これらは靖国神社の遊就館という宝物館に資料が陳列されています。
戦争末期、国によって特攻という死を強要された若者たち。
靖国神社のすぐそば、千鳥が淵戦没者墓苑に無名戦士の墓があります。
無名戦士、なんと残酷な響きでしょう。
旧日本軍兵士の証言による、戦死と言う名の餓死、病死、自決が無数に存在した事実。
決して感情的、感傷的にならず、歴史の事実は冷静に受け止める必要が
あると思います。
人間同士の殺し合いである戦争は決して美化されるべきものではないでしょう。