HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓と太極拳の考察2

太鼓と太極拳2

とあるテレビ番組で始まった太極拳講座。
二人の生徒に教えているのだが、その教え方がいかにもつまらない。

起勢(チーシ)最初の動き

足は左足から肩幅に開く。
手を肩幅のまま挙げて行く。
ゆっくり腰を落としながら手も下へ。
手の甲は常に上を向いている。

ただこれだけの動作。

それを動作の意味を説明することなく型どおりに教えていました。
教わる方も意味の無いただの動きとして覚えるだけ。

実はこの中に防御と攻撃の要素が巧みに組み込まれているのに、である。

手を上げるのは胸ぐらをつかみに来た相手の両手を手の甲で上に払い上げる動作。

柳生新陰流の極意に通じます。

手を下げ、腰を落とすのは相手の攻撃を下に受け流し掌を使って動きを封じ込める動作。

それをイメージするのとしないのとでは動きの深みがまったく違ってくると思えるのです。

すべての事に「なぜ」というフィルターを入れるのは非常に大切な事だと思います。

ただ単に手を上げる動作でも、相手の両手を払い上げる事をイメージすると、必然的に手の甲も指側ではなく腕に近い側で当てるのが自然な動きになったり、指先までまっすぐではなく、指先がやや遅れてついて行くような動きになります。
指先を伸ばしたままではどうしても動きも硬く不自然な動きになります。

どういう動作も鞭がしなうがごとく、力のよどみがなく、連綿と繋がる動きが太極拳の真髄のような気がします。

それは形の模倣ではとうてい得られない、真理を知るところにあると思っています。

太鼓もまったく同じことが言えるのではないか。
ただ単に形の踏襲ではいい音は出ない、動きの中の真理を探ること。
なぜ「ため」が必要なのか、なぜ作用反作用の動きなのか、なぜ腰を落とさねばならないのか、スタイルではない太鼓の真髄がそこにあるような気がします。