清貧は 聖職者なら 当たり前
フランシスコローマ法王が来日との事。
この法王、貧しい人に寄り添う事で人気が高いそう。
かつてローマカトリック教会は免罪符を販売し、それに反発してプロテスタントが生まれたがその背景に聖職者の腐敗・堕落ぶりがあったとされる。
今の法王は華美豪奢を嫌い、十字架や法衣も質素なものを身に着けているとか。
まあ、高僧だからといって宝石入りの高価な十字架や金襴緞子の法衣をまとうほうがどうかしていると思う。
先日、街の中をスリランカとおぼしきお坊さんが歩いているのを見かけました。
スリランカやタイ、ラオスのお坊さんは高僧だろうが見習いだろうが、オレンジ色の僧衣に頭陀袋を肩にかけ、サンダル履きの質素な身なりです。
位が高くなるにつれ豪華な法衣をまとい、高価な数珠を身に着ける日本の坊さんはそれに何も感じないのかが不思議です。
平等であるべきの宗教に見た目の権威付けは果たして必要なんでしょうかね~。
見た目じゃなくて中身で勝負して欲しいものです。