亡霊が うろつく教育 勅語かな
明治天皇の発令とされる教育勅語、今更ながらその使用についての是非がなされております。
現代日本、天皇が教育のあり方について直接国民に命令することはあり得ません。
平成天皇が、生前譲位についての自らの希望を吐露はしましたが
それはあくまで考え方の提案であって、命令ではな~い。
なんで今更、明治時代の天皇の言った事を国民が遵守しなければならないのか理解に苦しみます。
先の大戦で天皇は現人神(アラヒトガミ)とされ、神の言う事を汝臣民は聞かねばならない、
国体護持のためと天皇陛下万歳を唱えつつ、あまたの命が失われました。
明治天皇による教育勅語は、汝臣民はいざという時は天皇のために命を投げ出せ、
という事が高らかに謳われ、国は天皇を頂点とする国家形態策定に腐心していたと思われます。
そんな明治時代の精神に立ち返りたいという政治家先生達もおられるようだが
時代錯誤も甚だしい。
我が国が危機の時は国を守ろうとするのは国民として当然の行為、
だがそれは教育勅語に書かれている天皇のために命を投げ出すことではありまっせん。
教育勅語の精神はすばらしい、否定されるものではないという為政者や教育者もいるようだが
そもそも教育勅語は明治天皇が汝臣民に発した「勅語」であり、
今や天皇の臣民ではない主権在民の日本国民がそれを信奉するのはおかしな話なのである。
そんな過去の遺物を引き合いに出さずとも、自分が信じる新たな教育論を公にすればよい。
そもそも今時、朕思うに、はナンセンスでしょうに。