HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

この世:汚染列島

放射能汚染が日本列島にじわじわと暗い影を落としている。
 
日本=放射能汚染というイメージが定着し、海外からの観光客もますます二の足を踏む事だろう。
食物や土壌が汚染された国へはやはり行きたくはないのは人情。
被災地のためにもできるだけ観光旅行を!というキャンペーンも実際通じないだろう。

日本は国策として原子力発電を推進してきたが、一回の大地震、一発の巨大津波でそれは崩壊したようだ。
最悪の事態を想定もせず、ゆえに対応策の準備もなく、結果を想定外で済まそうとするのは何か。
事故当初、政府や学者がただちに健康に影響が出る値ではない、と力説していたのはあながち嘘ではないだろう。
なぜならばただちにではなく、今後何十年かにわたって原発事故による健康被害が数多く出る可能性があるからだ。
 
広範囲に拡散した放射性物質、それを被った植物や土壌、生物による食物連鎖
また降雨により川や海に流出・堆積する放射性物質
 
※参考資料
社団法人日本土壌肥料学会の土壌・農作物等への原発事故影響WG

http://jssspn.jp/info/secretariat/4137.html
 
放射性セシウム半減期は30.2年、今生まれた子が30歳になって今の放射能がやっと半分位になる。
 
核の恐怖は原発がある限り我々の生活につきまとう。
 
 
原発に代わる発電方式はない、と言う人もいるが、原発に代わる究極の災いもないだろう。
 
もし、あの原発の事故さえなければ復興への足音ももっと力強く聞こえているはず。
原発さえ、原発さえなければ、と考えるのはとても素直な事。
 
原発の恐怖、不安、実質被害との隣りあわせで電気使い放題の安穏とした生活を望むのが日本のあり方なのか、はなはだ疑問に思います。
 
産業界が活発に活動できるための安定した電気をどう作り出すか、が日本の緊急且つ遠大な課題であり、
資源が無い=原発という構造的短絡思考はもはや多くの国民の支持は得られないだろう。
 
原発賛成者は果たして原発の直近で自分の子育てに励む事ができるのだろうか?