太鼓には消えてしまう音を伝えるために楽譜があります。
何か書いたものがないと口伝だけでは人に伝えにくいので楽譜のようなものがあります。
経典は同じように教祖が発したことばを伝えるために書きとめたものと思います。
経典も楽譜も存在そのものに価値があるのではなく、その中身が大切と思います。
お経をありがたがって祀っておくよりはボロボロになるまで解釈をしようとするのが本筋と思います。
私は簡単な太鼓の楽譜は独自に縦書きの楽譜に書き直しています。
右は右、左は左なので直感的にわかる優れものと自画自賛!?
わかりやすけりゃ何でもいいじゃん、といういかにも日本人的解釈?
要は形よりも中身が大切、ということ。
あまり形にこだわると、ことの本質を見失うことになりかねないのではないでしょうか。
難解なお経をありがたがっていてはお釈迦様が悲しまれると思います。