HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

この世:川崎大師初詣

正月3日、初詣に行ってみました。
今までに行った事の無い所という事で川崎大師へ。文字通り初詣であります。
概要をネットで検索し、大きな無料駐車場があるとの事で車で出かけました。
自動車祈祷殿なるものがあり駐車場も兼ねております。
交通安全祈願を車ごと祈祷してくれるようであります。
賛同商店街を抜け、駅から来る道へ出たとたんにもの凄い人波、人々が大行列です。

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山門をくぐり境内へ。警察の規制に従い進んだり止まったりを繰り返します。
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振り返ってみると
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本堂の賽銭箱に辿り着くまでに1時間程かかったでしょうか。
辿り着くよりも賽銭箱の前から離れる方が大混乱、押し合いへし合いで揉まれ
まるでラッシュアワーの電車の乗り降り状態。
賽銭箱の前は安全を考えて柵を設け横に逃げる道を確保すべきでしょう。

その後は屋台が延々と続く帰り道。
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川崎大師の参道は御薬師と関係があるのか、のど飴を製造している飴屋が多く、

店頭で飴を切る包丁のリズミカルな音が響き渡っています。

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飴を切るのも二人一組で下拍子、上拍子があるのは興味深かったです。

屋台で腹ごしらえをして帰途につきました。
屋台の食べ物は大体ワンコイン(500円)、うかうかしてると
2000円くらい食べちゃいそうです。

川崎大師縁起(HPより抜粋)
今を去る880余年前、崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、 ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していましたが、 わが身の不運な回り合せをかえりみ、また当時42歳の厄年に当たりましたので、 日夜厄除けの祈願をつづけていました。
 ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、 海上に放ちしことあり。已来未(いらいいま)だ有縁の人を得ず。いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられました。
兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。
それは、大師の尊いお像でした。 兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養を怠りませんでした。
 その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。これが、今日の大本山川崎大師平間寺のおこりであります。