誰がより 何を言うかが より大事
発言の重みは、誰が発したかよりも、何を発したかが重要。
結婚スピーチなどでは会社の上司が形式的な祝辞を述べるケースが多いようですが
新郎や新婦の上司と言うだけでその場にいるようなもの、
社会的、というか会社的に偉いからお呼ばれされているように思えます。
何を話してもらうか、よりも誰に話させるか、を優先している典型です。
また式典などには必ずと言っていいほど議員先生などが顔を揃えます。
気の利いた事をしゃべればよいのですが、そういう人物は希有のようですね。
社会的地位のある人や、有名人はその肩書きがモノを言うわけで
主宰者としては会自体にハクを付けたいとか、
有名人を呼ぶチカラを誇示したいというところがあって呼びたがるのかも知れません。
またテレビコマーシャルなどでは有名人が起用されます。
モデルクラブに所属するまったく知らない人物よりも俳優やアスリートの方が
なぜか説得力があるような気になってしまうものです。
一時期流行ったタレント議員なんぞも「誰」というレッテルだけで得票数を確保できる例でしょう。
かの有名な誰々が言っている、というのは一見魅力的ではありますが
実はその人物よりも言っている内容の価値判断をきちんとすべきと思う訳です。
産地偽造事件が話題になりましたがあれも中身よりも「顔」をありがたがる消費者に
責任の一端はあるものと思います。
見た目(誰)より事の本質(何)を見極めるカシコイ生き方をしたいものです。
変な話、そうできれば振り込め詐欺被害も減るんじゃないでしょうか・・・。