散歩がてら近所の寺社巡りを。
以前訪れた時はお祭りで境内に夜店がたくさん出ていました。
普通の日に訪れるとその境内は意外に狭く、まったく印象が異なります。
国道246号に面した参道入口。
石段は文化13年(1806)に作られ、明治38年(1905)に改修されたそうです。
鳥居の裏に日露戦役某の文字が彫られております。
その石段を踏みしめて・・・ハアハア・・・。
道路の向こう側には高層マンション
かつては富士山も眺められたそうですが、押し寄せる都市化の波にすっかり飲み込まれています。
この神社の概要をそのHPから引用
<御祭神>
天照大御神(あまてらすおおみかみ)・・・・・・・・・・・・・・太陽の神様
素盞鳴命(すさのおのみこと)・・・・・・・・・・・・・・・悪疫撤退の神様
菅原道真(すがわらのみちざね)・・・・・・・・・・・・・・・・学問の神様
氷川神社は旧上目黒の鎮守で天正年間(1573年頃)、甲州の武田信玄の家臣であった加藤家が
天照大御神(あまてらすおおみかみ)・・・・・・・・・・・・・・太陽の神様
素盞鳴命(すさのおのみこと)・・・・・・・・・・・・・・・悪疫撤退の神様
菅原道真(すがわらのみちざね)・・・・・・・・・・・・・・・・学問の神様
氷川神社は旧上目黒の鎮守で天正年間(1573年頃)、甲州の武田信玄の家臣であった加藤家が
現在では、厄除の神様として親しまれております。
正面の石段は小松作りで、文化13年に作られ、明治38年に改修されました。
正面の石段は小松作りで、文化13年に作られ、明治38年に改修されました。
昭和60年頃までは、頂上から富士山を見ることが出来ました。
本殿には鏡が祀られそれなりにおごそかな空間が。
富士山信仰は江戸時代に庶民の間で盛んになり、
富士塚と言われるいわゆる富士山のミニチュアがそこここに作られました。
現在の上目黒1-8付近に文化9年(1812)に高さ12mの富士塚が築かれたそうで
これは安藤広重の名所江戸百景にも描かれているそうな。
その後富士塚が取り壊されたのちその石碑や祠は現在地に移されたとか。