アニメは突っ込みどころは多々あるのですが、そつなくできあがってます。
原作は読んでいませんが、火の鳥と同じようにスケールの大きい話だと思います。
釈迦族の王子に生まれたシッダールダ(世界の王の意)。
戦争や貧富の差、人間の宿命・生老病死について深く悩みます。
結婚をして子に恵まれながら一人城を出て流浪の旅へ。
人はなぜ生きるのか、が最大のテーマで、これは宗教というよりは哲学的命題ですね。
釈迦は普通の親から生まれた生身の人間、母親の脇から生まれ落ちたとか
生れてすぐに天地を指差し、天上天下唯我独尊と言ったとかされますが、
これはあくまでも仏陀を神格化するための後世の捏造でありましょう。
実際は大工のヨーゼフとマリアの間に生まれた普通の人間の子供だった筈。
(キリストの母、聖母マリアは常に慈愛に満ちた姿に描かれますが
父ヨーゼフはなぜかよぼよぼの爺さんに描かれています。
キリストの父親は聖人ではないの?)
(キリストの母、聖母マリアは常に慈愛に満ちた姿に描かれますが
父ヨーゼフはなぜかよぼよぼの爺さんに描かれています。
キリストの父親は聖人ではないの?)
キリストももともとは人の生き方を説いて歩いていたと思うのですが
その後確立されたのは唯一絶対の神以外は認めないキリスト教。
そういうキリスト教よりけっこうアバウトな仏教の方に私は親しみが持てますが
キリスト教も仏教もガチガチの宗教にしちゃったのは後世の人々だと思うんです。
そんな宗派同志で争ったり、教義の解釈で揉めるのはどうにも理解できないなあ。
人間は永久に愚かなるがゆえに人間なのだろうか。
なんだかお釈迦様に申し訳ない・・・。
映画館を後にする時、そう思う自分がおりました。