HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

地震その後

ジャパンショップという展示会の入場手続きをやっている最中に地震に見舞われました。
受付の書類に記入中、初期微動の縦揺れ振動が。
受付嬢に、これは大きいゾと言った直後、この世のすべてが揺れ始めました。
その場であわてて外に飛び出す人々。
しかし、窓ガラスが降ってくる危険があるので外に出るなら建物から離れるべき。
天井落下物がなさそうな所に移動してとにかく様子をみます。
どこで地震があったのかわかりませんが、
どこかで甚大な被害が出ているであろう事が脳裏をかすめました。
 
いったん揺れが収まったため、展示会場へ。
会場を足早に回り、その間も余震に何度も襲われました。
新しいLED照明器具、香りの装置の二社と名刺交換をした時に催事は打ち切り。
しかたなく会場の外へ向かいました。
展示会場の仮設の造作は震度5にも崩壊する事も無く、これは意外でしたネ。
 
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地震が一旦おさまった後、お台場にある東京ビッグサイト屋上に避難した人々。
 
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とりあえずお台場公園へと向かう途中、すべての店舗は閉鎖、
これはビーナスフォートという大型複合商業施設ですが、客、従業員とも店外に出されていました。
従業員のみ、中に残した手荷物をとりに入館を許可するアナウンスが流れていました。
 
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お台場はりんかい線新交通システムゆりかもめの二つがありますが
公共交通機関はバス以外すべて運行中止。
海上の定期船も当然動いていません。
 
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いつもは車であふれている首都高速も閉鎖のようで、
死の街のような様相を呈しています。
 
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途中立ち寄ったお台場海浜公園の人工海浜は地割れの跡が。
遠くに見えるレインボーブリッジを歩いて島から脱出します。
 
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ところどころ地盤液状化の現象と思われる地下水が吹き出た跡が火山のようになっています。
 
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これから渡るレインボーブリッジ。
右下には何事もなかったように東京タワーがライトアップされていました。
 
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レインボーブリッジ。
日も暮れかかり、怪しげな雲が不安を煽ります。
ヘルメットを抱えて帰途に着く人もいて
とりあえず歩いて島からの脱出を目指します。
 
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歩くこと2時間あまり、JR田町駅に到着。
JR各線、地下鉄は復旧のめどは立たず、駅にはシャッターが降ろされました。
バスのみ運行されているとの事でしたが
道路もマヒ状態、道は車と人であふれています。
 
駅のテレビで状況を把握、やはり情報の有無が行動を大きく左右します。
バスで渋谷に出るか、歩く事を覚悟するか・・・。
 
まずはここまで歩いてきた冷えた体と足を休める事を考えましたが
カフェはどこも大行列、コーヒーブレイクはあきらめて徒歩に備えて腹ごしらえをする事に。
立ち食いそばで手早く食事を済ませ、まずはバスを選択。
じたばたしても始まらないので体力温存の方にしました。
待つこと1時間、バスに乗る事ができました。
が、
歩いた方があきらかに早かったようです。
4時間後に恵比寿まで到着。
途中、無線連絡の交通状況はかなり助かります。
地下鉄銀座線がいち早く運行を始めたとの報が入り
乗客にどよめきが走ります。
50年以上前に開通した銀座線、やるもんです。
ここでバスをあきらめ、徒歩で渋谷まで出ました。
 
渋谷からは田園都市線が動いていたのでホームへ。
ホームは人が渦をまいています。
人でごった返していて電車を3本やり過ごしてやっと乗り込む事に成功。
家にたどり着いたのは一時近くになっておりました。
途中、スーパーに立ち寄りましたがパンや惣菜の棚には何もありません。
 
それでも家に帰れて一息つく事ができました。
 
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翌日、出社して見たものは細かい壁の崩落、ひび割れ。
このビルは古いため、たぶん大きな地震には耐えられないと思います。
 
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ブロックが落下、入り口のドアのガラスが割れておりました。
地震の時はガラスに近寄らない、建物のそばに寄らないのが鉄則です。
 
東京直下型地震の惨状は想像を絶するものがあるでしょうね。
地震があったらどう行動しようかをいつも考えながら歩いています。
(おそらく真っ先にビデオカメラ回し始めると思いますが・・・生きていれば・・・)
 
追加記事
自宅はマンションなんですが、覚悟して入室したところ
パソコンのモニターが倒れていた以外はたいした事ありませんでした。
2階なんであまり揺れなかったのかも知れません。
ニャンコどもは恐怖に引きつっていたかも知れません。