
ぱくたそより
祝うと呪う、似て非なるもの、と思いますが古代においては同じような意味、使われ方だったようです。
祝、呪もどちらも「ほさく」と読み、願う、祈るという意味を持ったようです。
漢字の語源を紐解いてみると。祝うは示+兄、呪うは口に兄という構造で兄は人を表すそう。
よって祝うは示=神に対し祈る人、呪うは単に口に出して祈る人、でどちらも祈る人という事に変わりはなく、祈る対象が神か自分かの違いだったようです。
祈る、という文字の成り立ちもちょこっと調べてみました。
祈る=示+斤でこの斤は斧の刃をものに無茶苦茶近づけた状態を表す象形文字で、神にぎりぎりまで近づこうとする行為がすなわち示+斤=祈りになるということ。
ちなみに斤はキン・キと発音し、近の原字なんだそう。
文字や言葉って深堀してみるとなかなかに面白いもんです。
祝うと呪うはどちらも祈るという事で、いつからか呪うは人の不幸を祈るという意味で使われるようになったようです。
恨みや憎しみを抱いている人に対し、その人が不幸になるように神仏に祈る、心に願う、呪う境地はわからないでもないですが、そういう境遇こそ哀しくも不幸で呪われるべきものであります。
江戸時代では人目に触れぬよう夜中に神社に詣で藁人形に五寸釘を打ち込んで呪うという行為が実践されていたようですが、現代ではSNSを通じて人を誹謗中傷するという呪いの行為は健在(不健在?)のようです。

またストーカー行為がエスカレートして殺人まで犯しちゃうという呪われた人生を送る人々も。
社会を呪って無差別殺人に至るケースも散見されます。
社会から孤立無援になるとそうなる確率が高まるんじゃないかと。
自由資本主義経済の歪がそういうところに現れてくるよに思えます。
物価高に苦しむ日本の社会、タカイチ内閣の出現を祝うか呪うか、または無気力に祈るしかないのか、さて・・・。