HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

自分昔話4

これは上野にあるおでん屋さん、大凧の特注品のおでん鍋。

(おそらく創業以来のもの)

この大凧、上野広小路から移転した店舗となります。

元々、社長の知り合いが上野広小路お好み焼き屋を開いており、そこにビルを建てる事になりました。

2階にお好み焼き、1階にテナント、3階から上はオーナーの住居、という構成、間口2間(3.6m)という鰻の寝床状態の土地でした。

社長は飲食店のノウハウ収集のため、別会社を興し、一階に出店する事に。

しかしながら飲食畑はド素人、そこで考えたのが調理の手間がほとんどかからないおでんと地酒のお店でした。(地酒は冷か燗をして仕入れたものを出します)

 

会社が麹町にあったので社長は赤坂のおでん屋に頼み込んで、ノウハウを仕入れました。

 

当時は地酒ブームの手前で、地酒を扱う問屋もなかったため、新人の運営スタッフ候補が各地を回り、蔵元から直接仕入れました。

 

お店の入り口を入ると、まずこのおでん鍋と店主に迎えられます。

 

店名の大凧は社長(故人)が勝手に決めました。

看板として武者絵が描かれた大きなテント製の凧を店の正面に掲げました。

凧の大きさに不満を示した社長命令で作り変えたという逸話のおまけ付き。

 

店が末永く愛されるように新建材は一切使わず、時間が経てば味の出る自然素材、古民家の土間をイメージさせるため天井は張らずにスケルトン仕様としました。

 

その願いも虚しく、どういう事情があったのかビルの建て替えとなり、初代のお店は消滅しました。

 

その時に、商業施設は消費されるもの、という貴重な教訓を得る事になりました。

若い頃店に通った爺ちゃんが成人した孫を連れて呑みに来るシーンを夢見ましたが、夢に終わりました。

 

老舗となるにはいろいろとキビシイ条件をクリアできた結果と言えるのかも知れません。