HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

大仏

youtubeをみていたら、福井にある越前大仏とやらの動画がありました。


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大仏といえば奈良や鎌倉の大仏くらいしか思い浮かばないんですが、日本一大きい大仏と紹介されています。確かに奈良の大仏よりも大きいようです。

奈良の大仏は14,7m、鎌倉の大仏は11,39m、越前大仏は17m、立派な大仏殿に納まっております。

座像では日本一とされていますが、調べて見るとどうもそうでもなさそうです。

 

千葉の日本寺大仏は31mの石造大仏(薬師如来)、立像では茨城の牛久大仏が100m。

wikipediaに全国の大仏がまとめられており、なかなか興味深いです。

京都にも豊臣秀吉によって大仏と大仏殿が造られた事は意外と知られていません。(自分が知らなかっただけ?)

 

人はなぜ大仏を創りたがるのか、日本だけではなく、中国やタイ、ラオスなどにも大仏像が多く見られます。

昔は仏の力で国を治めようとして大仏が建立されたようですが、近代のものは資産家が造ったものが多いようです。

造ったはいいけれど維持が困難になったり、老朽化したりで解体された大仏も。

時の権力者も資産家も大きいものが大好きなようです。

独裁国家では大仏ではなく独裁者の巨像が建てられて権力の示威を行っています。

 

大仏のモデルにされている釈迦は生前、偶像となる自分の像を作ってはいけないと弟子たちに厳しく言い渡していたようですが、没後500年もするとその戒めは守られず、仏像が造られるようになったとか。

偉大な師を慕う気持ちはわかりますが、釈迦の説いた教え(心)ではなく偶像(物)そのものをありがたがる仏教が生まれる事になったと言えるでしょう。

 

その後、後世の人たちによって仏教の世界観が形作られましたが、果たして千手観音や薬師如来そのものに実際遭遇した人はいないのではないかと思われます。

お寺の本尊と対面するくらいでしょう。

仏教ではもの凄い数の仏や菩薩、観音、明王や天部がおり、仏像や仏画に表現されていますが、これらは人々の究極的な願望や欲望が具体的なカタチになったのではないかと。

その意味では仏像そのものをありがたがっているようでは偶像を崇拝するなと説いた仏陀の教えに反し、悟りの境地に到達できない=仏になれない、という事ではないのかと思ったりします。

 

資産家が造った大仏はありがたみは薄く、観光スポットでしかありません。

奈良や鎌倉の大仏も殆どの人にとっては一大観光スポットですけどね。

周辺の土産物店や飲食店にとっては絶大なご利益があるありがたい大仏様でしょう。

稼がしてもらったお札は何枚だナンマイダ・・・。

 

あまりおちょくるとバチが当たりそうなのでこの辺で。