アベ元総理が山上容疑者に手製の銃で射殺されました。
警備体制のほころびをついての犯行は警察のトップの辞任にまで至りました。
射殺に至ったのには様々な要因が重なった結果という分析がなされています。
まずは警備体制に隙があったのは一番大きな問題でしょう。
次に銃が手製のため発砲音が花火のようであったこと。
警備していた警官やSPは普段から聞きなれた銃の音ではなかったため反応が遅れたのではないかと推測されます。
演説を聞いていた聴衆は花火か何かと思った、とインタビューに答えていました。
日本の社会が銃撃に対して不慣れであった事も指摘できるかと。
アメリカなど銃が当たり前の社会では銃の音が聞こえたら反射的に身を伏せる動きが徹底されています。幸か不幸か日本ではそういう状況は稀有。
アベも自らその動きをとっていたら身を守れたかも知れません。
しかし、アベが射殺されたからこそここまで旧統一教会との関係がクローズアップされ、国会議員が汚染されていた事が次々と明るみに出たのではないでしょうか。
アベが難を逃れていたら一暴漢の仕業と決めつけられ、例によってナアナアの対応がとられ、自分たちに都合の悪い統一教会と国会議員の底なしの腐れ縁は闇に葬られてしまった事でしょう。
その意味ではアベ元総理の死を無駄にせず、政界のドブさらいを徹底してどうしようもない自民党政治の浄化をしていただきたいものです。
アベ政権時代に旧統一教会の名称変更がなされたというアヤシイ経緯も国民に明示すべきかと。
政治の善悪と首相の暗殺はそもそも切り離すべきですよって。