ウィズコロナ ゆとり時代の 標語かな
一時期、標語好きのどこかの首長がウィズコロナということばを使っておりました。
今考えるとずいぶんゆとりのある響きに聞こえます。
新型コロナウィルスと共存するしかないのだと。
これって感染拡大が下火になり、ほぼ通常の暮らしができる時に言えるのではないかと思えますがな。
今のように感染拡大に歯止めがかからず、先行きがまったく不透明な時にウィズコロナはないでしょう。
それにしても決定打に欠ける政府の対応、ますます不安になります。
記者会見でも国の最高リーダーは相変わらず伏し目がちに原稿の棒読み、自らの言葉で語ろうとはせず、二言目には専門家の先生の意見は、と分科会に振る始末。
前のリーダーも桜を見る会の宴会の領収書は世の中につまびらかにする気は毛頭ないようだ。得意技の逃げ隠れ戦法で国民を煙に巻くおつもりらしい。
いい加減にしておくれにゃ~。