HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

新型コロナで変わる世界その3

規格外 捨てる世の中 捨てなはれ

水産物に限らず、この世には生産されるものに規格外と言うものが発生します。

規格外は市場価値がないものとされ廃棄処分にされるのが普通です。

曲がったきうり、割れたトマト、二本足の大根、アザのあるリンゴ・・・。

小ぶりな魚、深海魚、足が欠けたタコ・・・。

お菓子の一部などはワケアリ商品として割安で売られるケースも無きにしもあらずですが、その殆どは商品価値のないものとされ廃棄されます。

この概念はオソロシイ事に人の世界にも適用され、ナチスの人類浄化思想や、日本でもハンセン病患者への不妊手術・隔離、最近起こった障害者大量殺傷事件は記憶に新しいところです。

 

規格は人が決めた事、規格からはずれるものは商品価値がないものとされてしまいます。

商品の規格基準はおもにサイズや形、重さが揃う事、中身ではなく見た目がいい事。

 

この規格設定の大きな要因は、効率と消費者の意識にあるものと思われます。

不揃いなものは見た目の印象が悪いし、箱詰めがしにくい、重さを揃えにくい。

スーパーに並ぶときに、スーパーモデルのような顔立ちの商品に消費者は惹かれるというわけですね。

粒がそろっている方が不均等にならない、見栄えするというメリットはあります。

スーパーマーケットが出現する以前は消費者は買い物かごを携えてgo to商店街の日常、そこでは各商店での量り売りが基本、新聞紙に包んでもらいそれで特に問題はありませんでした。商店主とのミニ会話は商品知識や調理法などの情報を得る機会があるし、「非効率のよさ」は充分にありかと。

現代はスーパーマーケット等の「効率重視」の流通システムに消費者が飼い慣らされたという事でしょうか。

 

 

農産物に関しては無農薬有機農法の農家のサポーターが組織され、生産された農産物は見た目や量の多少にかかわらず定額ですべて買い取る、というおいしく食べられるものをゴミにしないというシステムも生まれています。

水産物に関しても、市場価値のない今まで捨てられていた魚を買い取り、手間暇かけて命を味わえる貴重な食材に仕上げている仲卸の魚屋さんがテレビで紹介されていました。

 

今新型コロナウィルスは、効率のみを追い続けてきた人類にその価値を問いかけているように思えてなりません。消費者生産者の価値観の転換、この新型コロナがもたらしてくれる可能性はあるのかなと思います。