1、傲慢PRIDE
2、嫉妬ENVY
3、憤怒WRATH
4、怠惰SLOTH
5、強欲GREED
6、暴食GLUTTONY
7、色欲LUST
この7つの大罪、それまで人間の一般的な八つの想念として修業論に示されていたものを6世紀後半に、時のローマ教皇グレゴリウス1世が7つにまとめた指針が元になっているそうな。
これらの7項目は、そのものが断罪されるものではなく、人を誤った方向に導く恐れがあるためこれらの欲望や感情には要注意すべし、という考えらしいデス。
そのためキリスト教会においては7つの大罪ではなく7つの罪源と表しています。
このうちの6暴食に関して
人は大食いなる行為が好きなようで、大食い競争や大食いタレントがもてはやされる傾向があります。大食いそのものに価値があるとは思えませんがなぜに大食い?
生きるものにとって飢えや渇きは耐え難い苦しみ、暴飲暴食、食えるだけ食うのはその飢えの対極にある理想郷の姿なのかも知れません。
しかしながら必要以上に食を貪るのはやはり罪深き行為ではないのかと。
今の世の中食べ物を廃棄するのは罪深き行為とみなされます。
この飽食に関しておもしろい体験をしたことがあります。
東南アジアの家庭を訪問した時、出された食べ物を残さない限りどんどん提供されてしまい、まるでわんこそば状態になった事があります。日本人の感覚だと出されたものはきれいに平らげるのがマナー、残すなんて失礼な行為、お皿をなめるようにきれいにいただきます。そこは文化の違い、もてなす側としては皿が空になる状態にする方が恥ずかしい行為なのです。客人には食べきれない食事を出してもてなすのがマナーなんですね。
日本でも子供の頃、お客さまには寿司の出前などをとってもてなしましたが、寿司なんぞはご馳走の中のご馳走、めったに口にする機会はありませなんだ。子供たちは客が食べ残すのを期待してふすまのこちら側で密かに待機していたりしたものです。
そんな子供=餓鬼にとって全部たいらげてしまう客人は大罪を犯す悪魔に見えた事でしょう。
ふすまの向こうに潜む餓鬼の気配を感じてあえて残す人もいて、まるで映画のワンシーンのような世界も展開されていた時代、現代の飽食の時代では考えられませんが、それだけ食べ物を大事にし、敬意を払っていたと言えます。
全人類のために大食いは慎みましょう。