唐の時代の詩人杜甫の「春望」より
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
国破れて山河あり
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
峰火三月の連なり
家書万金に抵る
白頭掻けばさらに短く
渾べて簪に勝へざらんと欲す
この漢詩は五言律詩と言われるカタチ、唐の時代に詠まれた唐詩なんですが、日本では中国の詩を一般に漢詩、中国の文字を漢字と言います。中国=漢という文化的認識なんでしょうか・・・。
さて、中国の詩のカタチでは五言絶句というのもありますが、五つの文字で構成されたものを一句として四句のものを絶句、八句のものを律詩というそうな。
よってこの詩は五言律詩。
内容は唐の皇帝玄宗が楊貴妃にうつつを抜かし、政治をおろそかにしていたところ安禄山が蜂起して長安の都を占拠、その時杜甫も捕らえられて荒廃した都や其の身を嘆いた、というもの。
国破れて山河あり、戦争で国が滅茶苦茶に荒廃しても山や河は昔のままにある・・・という日本人の諸行無常観にぴったりくる詩で、俳人松尾芭蕉も引用していたりします。
日本は戦争が終わり75年を迎えますが、当時の写真からは「国破れて惨禍あり」という悲惨な状況が伝わって来ます。
10万人の一般市民が命を落とした東京大空襲によって焼け野原になった東京、まさに灰燼に帰した都市の向こうに国会議事堂のシルエットが亡霊のように写っていたりします。
また一発の原子爆弾で破壊されつくされた広島・長崎の惨状。これも一般市民の頭上に落とされ人類史上初の大量殺戮の実施実験の色合いが濃いと思われます。
罪もない一般市民、とは言われますが敵国から見れば一般市民でも戦争加担者になるわけで、軍国主義教育によって軍国少国民は再生産されていたわけです。
イスラム世界の少女が聖戦の名の元の教育によって、名誉ある殉教者としての自爆テロ犯に仕立て上げられるのと構造は同じ。
お国のために、という呪文で一般市民は戦争の加担者にさせられ、戦争の犠牲者にさせられたのではないかと思います。
為政者によっていったん戦争がはじめられると、「罪のない」市民は否が応でも戦争に加担させられます。
戦争で味わった苦渋は杜甫の比ではなかったかも知れません。
「戦争はしてはいけない」という日本の憲法は世界に誇れるものと思います。
「核武装が平和を保つ」というオソロシイ幻想は広島・長崎・福島の惨状を見て見ぬふりをする事、国滅びて惨禍ありと嘆いても後の祭りでございます。