HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

因縁というものの正体

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因縁をつける、とか反社会的勢力の面々がよくやる行為ですが、この因縁て何?

 

因縁は仏教用語で、仏教では物事は必ずその原因があって結果が生じるという思想の上に成り立っています。

これの拡大解釈版が、今のあなたの不幸(果)は前世の行いが悪かった(因)から、その因縁を断ち切るために御祈祷により霊力を封じ込めたこの金色に輝くありがた~い壺を買いなはれ、という霊感商法

 

仏教の基本となる因縁の観念には内的な直接要因=因と外的な関節要因=縁の二つがあるそうです。

 

因縁の使われ方として

●おめえ何ジロジロ見てんだよお、と因縁をつける=言いがかりの「原因」を勝手に作る、という事で使われるようになったのやも。

実はこの手の仏教用語はその世界ではよく使われます。

刑務所から出所して「娑婆」に戻る。

引導を渡してやらあ、もうお釈迦だわ、お陀仏にさせたる・・・。

そもそも極道というのが仏教でいう悟りを開いた者の意ですから、大本山八九三山外道院極道寺という裏社会的ピラミッドが成り立つのやも知れません。

 

●ここで出会ったのも何かの因縁だな・・・前世から定まっていた運命・宿命の意もあるとされますが、運命や宿命の存在は仏教では厳しく否定されています。

 

●因縁浅からぬ代物・・・以前からの関係性やゆかりを表す意味で使われたり。

 

こうしてみると日常生活には仏教用語が浸透している事がわかります。

古代インドを源としている仏教がはるばる日本にやってきて、その思想がまだまだ生きているという事を思うとそれが様々な因縁の上に成り立っている事を感じます。