「いろいろあって、それぞれ正しい」
和太鼓に限らず、◯◯流とか、本家◯◯とか、いろいろあります。
例えば宗教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、ユダヤ教・・・
キリスト教だけを取り出してもカソリック、ギリシャ正教、ロシア正教、聖ベネディクト派、ルター派・・・イスラム教でもシーア派、スンナ派、身近な仏教も真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、華厳宗・・・と多種多様です。
宗教対立は今も昔もあり、不幸な戦争の要因にもなっています。
これは「自分が正しい、自分だけが正しい」と信じちゃうところから来るように思います。
他者を認める寛容な精神、必要に思います。
話が大袈裟になりましたが、太鼓も同じで、バチの握りから姿勢、打ち方、いろいろあってどれも間違いではありません。
師匠の言動は一面正しい、しかし絶対ではない、という鷹揚さがあってよいと思います。
師匠が100人いたら100通りの正解がある、一つの正解よりも100の正解を知っている方が世界が広がり深まると思うわけです。