HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

見たことが絶対ではない

 

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この目で見たにゃ。

 

この目で見たんだから間違いないっ!というのはよくあるテレビドラマの台詞。

 しか~し、人は見間違いという事もよくやります。

思い込みや錯覚、見たものが絶対正しいというわけでもありません。

 

先日、チコちゃんに叱られるで金縛りの事をやっていました。

金縛りにあったという人は散見しますが、実はあれは夢なんだそうな。

夜中にふと目が覚めると何か息苦しい。

手足が動かず声も出せない。部屋の闇には何かの気配を感じてオソロシイ体験をしたと。

でもこれ、ふと目覚める夢を見ているんだそうな。

脳が覚醒をしている時、いわゆるレム睡眠の時は体が眠っているため体が動かせずまさに金縛り状態、まさか自分が夢の中で起きているとわからないのでそれが現実のものと思ってしまう。

幽霊や化け物も、びくびくした精神状態の時に見たと思い込んでしまうのではないかと。そういう人たちを霊感が強いとか言っているのではないかと思う次第。

 

人の顔を顔として認識しているのは脳の処理によるものなんだそうな。

壁のシミが顔に見えてくるのも脳の錯覚によるもの、霊感とは関係ないもののようです。

今まで悪霊に憑りつかれて命を落としたという例は見聞きした事がありません。

それよりも生身の人間に殺された人の何と多い事か。

悪霊より人の方がよっぽどオソロシイです。

 

ま、国会議事堂は人を喰ったような魑魅魍魎、妖怪の類が多数生息する伏魔殿である事は確かなようですが・・・。

 

原子力発電じゃなくて元気力発電!?

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街中にある元気力発電所、気になります。

さっそく検索してみると練馬区の環境まちづくりNPOの活動の一環ということがわかります。

環境まちづくりNPO 元気力発電所 (npo-genkiryoku.org)

 

おおもとは2001年から活動をしているようで、練馬区地産地消リユースの拠点作り、太陽光発電設置を目指しているそうです。

 

太陽エネルギーは無料で地球に降り注いでいるわけで、これを使わない手はないと思います。

石油や石炭などの化石燃料も実は過去に地球に届いた太陽エネルギーが蓄積されたもの、と言えるでしょう。

原子力は人類が手にした新しいエネルギーですがあまりにも危険という事は歴史が証明しています。

 

もっとお日様に頼ろう!という動きがあってよいのではと思います。

災害に見舞われても太陽は頭上に輝いているわけですから。

太陽光発電と蓄電池の開発は国家的プロジェクトとしておカネを使うべきかと。

原子力発電に今までいくらの税金をつぎ込んできたのか?

そんな原子力発電からは撤退するという国民の意思が醸造されつつあるように思います。原子力発電はカネになるという一部の政治家の思惑で国の命運を決めるのはどうなんでしょう。

 

危険と恐怖にカネで蓋をして、その上で安心・安全な日常生活が送れるのでしょうか?

原子力発電所が存在する限り第二、第三のフクシマの惨禍が絶対起きないという保証はありません。

安定エネルギーの供給体制は必要ですが知恵の絞りどころと思います。

都会のビル群の壁面を太陽光パネルで覆ったら、新国立競技場の庇をすべて太陽光発電パネルを設置したら、東京のほとんどが太陽光発電パネルで覆われ、効率的な蓄電池と組み合わせられたらどれほどの電気が作れるのでしょう?

 

我が家では太陽光発電パネル=約1㎡とポータブル蓄電池で半日で約500Wの電気を作っています。

東京都の面積は約2千平方キロメートル、その1割に太陽光パネルを設置できたとすると200平方キロメートル=2億平方メートル、単純計算で半日で1億キロワットの電気エネルギーの発電が可能という事になります。

 

ま、これは机上の空論ですが、空論にもカネの話は必要でしょう。

我が家の投資金額は約8万円、2億平方メートルでは16兆円、設置費用は4~50兆円ほどかと。

フクシマの廃炉作業で30兆円ほどかかるそうですからカネの使い途としてはテーブルに乗るのではないかと思います。元々机上の空論ですから・・・。

 

自分のいびきで目が覚める?

今朝の事、眠っているとzoo   zooといういびきが聞こえて来ました。

 

そのいびきの音で目が覚めたんですが、自分のいびきで目が覚める事ってあるんかいな?

 

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わたいもいびきをかく事あるんだわにゃ。

 

でもでも考えてみるに、この現象は実は逆で、いびきをかいている時に脳が覚醒していき、いびきの音を自覚し始めたんじゃないかと。

要はいびきをかきながら目覚めた状態?

いびきの音が聞こえたから目覚めたんじゃなくて目覚めたからいびきの音が聞こえてきた、と。

 

睡眠には脳が休んでいるノンレム睡眠と体が休んでいるレム睡眠というのがあるそうな。脳が眠っていないレム睡眠は眠りが浅い夢うつつ状態、脳は盛んに夢を見るまさに夢見心地タイムとか。

 

おそらくこの状態でいびきの音を耳にしたんだと、そしてそのまま起きちゃった、という事なんだと思いますら。

 

 

 

継続と断続

区民センターでの一人だけの太鼓自主練に行ってまいりました。

一人なので自由気ままに練習三昧、二時間はあっという間でした。

 

基礎練としてタイムキープにチャレンジ。

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テンポ出しを♩=180に設定して、フレーズ練習「寿司喰いねえ」を。

メトロノームに合わせて音を出すのはとてもムズカシイ事は理解していましたが改めてやってみるととてもムズカシイ事を再認識。

この機械とのテンポのズレはなぜに起こるのか???

 

いろいろ試すうちに継続してテンポをキープするより断続的にやった方がずれない事がわかりました。

シンプルなフレーズでテンポを捕まえる、それの繰り返しで機械音に乗る事を少しずつ体になじませて行きます。

フレーズが変わるとテンポもずれやすい事が判明。

それぞれのフレーズでしっかりテンポをつかみ、フレーズを切り替えてもテンポを保つ練習をしないとメトロノームと一体にはなれないかも知れません。

 

よく練習している基礎打ちのパターン、ただやっているケースが多いように思えてきます。

まずは自らテンポをキープする、という真剣な自覚が必要なのではないかと。

その上で継続と断続の基礎打ちは有効ではないかと思う次第です。

 

三無主義に要注意

新型コロナ感染拡大が止まりません。

世界的にもえらい事になっていて医療崩壊に向け手が付けられない状態かも。

国内でも医療の限界値に近づきつつあり、国はたまらず二度目の緊急事態宣言を限定地域で発出するに至りました。

しかしながら世の中にはかつての緊迫感はなく、悪い意味でのコロナ馴れのような雰囲気が漂っております。

しかしながら新型コロナウィルスに初めて接してから1年近く、その経験より感染拡大のメカニズムも垣間見えてきたように思います。

 

そんな中で「無症状」の感染者が世の中を動き回るという「無自覚」さが一番よろしくないのかと。

新型コロナ陽性にもかかわらず旅行に行っちゃったり、濃厚接触者としてPCR検査を受けて結果待ちの間に宴会に顔出しちゃったりの例が後を絶たないようです。

また感染して発症するまでがウィルスをばら撒く危険地帯であるとも。

 

無症状 無自覚 無防備

 

3密を避けるというのは今は常識になりつつありますが、上記の三無主義も戒められるべきではないかと。

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気を付けようにゃあ。



 

和太鼓授業終了

高校の日本の伝統文化和太鼓の授業最終日が終了。

新型コロナの影響で6月に開始、発表会や文化祭での晴れ舞台を踏む機会は失われましたが、体育館を使っている空手と合気道、そして和太鼓が最後の授業で合同での発表を行いました。

 

5時限目は前回の練習風景の動画を鑑賞した後通し練習を。

重点ポイント、縦と横の重心移動を表現する事。

それを徹底するために横の重心移動の動きを入れた準備運動を行い、

後は気が付いたところを個人にアドバイス

 

下拍子を担当している生徒たちはダンス部のようで、

休み時間には音楽に乗りながらヒップホップの練習をしていたりします。

下拍子はノリを伝える事も大切なため、体で表現する事を伝えましたが

残念ながら和太鼓とダンスの合体には至りませんでした。

 

全員でテンポを共有する事、お互いの音に気を遣う事、創造性を発揮すること、

それらを再確認して6時限目はいよいよ発表。

舞台上で元気な音を響かせてくれました。

 

練習風景の動画です。

 

 

 

合気道は生徒が二人と少なかったですが、密接しないと技がかけられず、ムズカシイ授業を強いられたのではないかと思います。

 

空手は最後の「板割」を行いましたが、なかなか割れない生徒もいて笑いを誘っておりました。

 

新型コロナで大変な一年でしたが何はともあれ無事に授業が終わり、楽しい授業だったという言葉が聞かれたので一安心。

担任からは和太鼓に触れる貴重な機会に恵まれた事、どこかで和太鼓に再開するかも知れない事、女生徒が多かったのでちょっと規律がとれなかった事などが伝えられました。

私からは授業で学んだ人をおもんばかる事、創造力を発揮した人生を歩んでもらいたい旨の話をさせてもらい締めくくりといたしました。

 

予想と判断

新型コロナ感染拡大に歯止めがかかりません。

 未知のウィルスに対し、泥縄式での対応を余儀なくされているのは致し方ないとは思いますが、しか~し、そんな時にあらゆるケースの予想をするという知恵は働かせるべきだと思います。

 政府の対応で失敗したのは、go toキャンペーンのタイミングではないかと。

 

元々go toキャンペーンはコロナ禍が収まったら経済をV字回復させる政策だったはず、

 国の方針として、まずは感染を止める、減らす事に「全集中」すべきだった、

 

落ち着いたらgo toキャンペーンで全国的に旅行に食に大いに散財してもらい、

 それに国も加担して疲弊した経済に活を見出そうというのが根幹だったハズです。

 

政府は経済界の突き上げや支持率を気にするあまり中途半端なままgo toキャンペーンに踏み切ってしまった格好。

 

一時的には世の中にカネが回ったように思われましたが、一番の失敗はgo toキャンペーンで「もう大丈夫かも」という印象を与えてしまった事。これが気の緩み、行動の緩みにつながってしまった。

 

新型コロナ禍の収束が未確認状態で国が後押しして、皆さん旅しましょう、食いましょう、飲みましょう、ただし感染拡大に気を付けてね、という事をやってしまったワケ。ウィズコロナなんていう標語さえ作られ、ウィルスと共存できれば大丈夫という錯覚まで抱かせてしまいました。

 

そんな事をやっておきながら今になって、自粛しましょう!と言っても人々には届きにくいかと。

 

人の行動は精神状態に大いに左右されます。

目先の利を優先してgo toキャンペーンを見切り発車してしまったのは大失敗です。

 

見通しが立つまで暫く耐え抜く事を全国民に強いる、官民問わず共闘する決意を表明すべきだったかと。

その中で国ができる支援を具体的に打ち出す、実行する、そういう政治を行ってもらいたい。

 

家庭にマスクを配ったり、国会で嘘をついたり、国民に意志を伝える記者会見を開かなかったり、会食はダメと言っておきながら自分たちは会食していたり、見通しを示さずに急に方針を出したり、そんな対応をしているから信用されなくなります。

 

未知のウィルスに対して泥縄式になるのは致し方ないとして、政治が国民に嘘をつく事はやめてもらいたい。

そういう議員はさっさと辞めてもらいたい。

いろいろ考えものだぎゃあ。